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桜を求めて甲斐路へ

桜を求めて春の甲斐路へ

桜の見ごろは来週末

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新型コロナウィルスの影響で観光需要が減少している昨今。筆者も極力人込みは避けていますが、関東地方では夏日を記録した三連休の最終日、桜の花を求めてJR中央線に乗り、山梨県・甲府市まで突発旅行に行ってきました。

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甲斐の国といえば、戦国武将最強の武田信玄公。満開のソメイヨシノが迎えてくれました。

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向かったのは「甲府城」。毎年、世界最大の騎馬軍団が練り歩く「信玄公祭り」が盛大に行われるメイン会場なのですが、今年は新型コロナウィルスの影響で宴は中止になりました。

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城の北側では五分咲きでした。今週末が見ごろでしょう。

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数百年まえの石積みが歴史の重みを感じます。

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甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣政権の重臣浅野長政・幸長親子らによって一条小山と呼ばれる丘陵地に築かれた平山城で、武田氏館に代わる城として築城された。本丸や稲荷曲輪・数寄屋曲輪は野面積の石垣が残り天守台は江戸城・名古屋城・会津若山城につぐ巨大なもの。豊臣政権下では徳川氏を押さえる城として重視された城だが、江戸時代には、外敵の江戸侵攻を阻止する城として代々将軍家の子が城主となり引き続き重視された。その後、柳沢吉保が徳川親藩以外で初めて城主となって入城した際に、城の拡張と修築が行われ城下も整備されたが、子の吉里が大和郡山へ移された後は、幕末まで幕府の直轄領となった。1868年の戊辰戦争では新政府軍に恭順し板垣退助らは無血入城を果たした。

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城の南側では8分咲きで美しい桜を堪能てきました。新型コロナウィルスの影響でお花見も禁止されていたため、城内を散歩。

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このような時期ですので、最後にシャッターを切り帰路に向かいました。

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甲府駅にあるジュエリーのモニュメント。この下には大量の水晶が埋められています。甲府市の宝石生産高は日本一。宝石の街甲府と呼ばれています。甲府は「水晶の発掘地」として発展し、水晶を使ったジュエリーの為に研磨・加工技術が発達したことからジュエリー産業が発展しました。

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帰りの東京へ向かう各駅停車は、国鉄時代に製造された211系長野色電車。日曜日の夕方は通常観光客で満員なのですが、ご覧のとおり乗客は、ほぼ皆無でした。

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甲府を出て、100分終点高尾に到着しました。一日もはやく新型コロナウィルスが終息してほしいです。


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